郷里のDr.コトー目指して医学部へ
私は中学校までを香川県の豊島(てしま)という、瀬戸内海に浮かぶ小さな島で過ごしました。豊島は瀬戸内海の島嶼群のひとつで、当時は約1700人が暮らしていました。医療環境としては診療所がひとつだけありましたが、XP(X線撮影)以上の検査・治療などを受けるには、1時間かけて船で高松市か岡山市に出かけなければなりませんでした。
その診療所の先生は父の友人で、私が小さな時から「この診療所は将来、タカキ君にやってもらおう」と言っていたらしいです。いつの頃からか、私自身もそのつもりになっていました。
しかし、今から思えば、教育環境は決して恵まれたものではありませんでした。豊島中学校には専門教科の先生が少なく、数学の先生は体育専門の教師が兼任していたり、国語は家庭科専門の教師であったりという状況でした。さて、こういう環境で受験をするわけですが、当然、島には塾もなく本屋もなく、参考書や問題集を買うには1時間、船に乗り出かける必要がありました。したがって、教科書中心に復習をすることが中心となりました。振り返れば、高校受験でも大学受験でも、教科書の内容をすべて理解できれば良いのです。何事も基本を忠実に行うことが大事です。
父の死をきっかけに心臓血管外科の道に
国立大学医学部に入学し、大学生活を進めていくうちに、父が突然、心筋梗塞を発症し命を 失ってしまいました。この父の死が、自分の医師としての進路を決める大きなきっかけとなりました。島の診療所のことは頭の片隅にはあるものの、結局、心臓血管外科を選択し現在に至っています。現在、豊島には約700人が暮らし、土庄町が建てた診療所で、香川県立中央病院から派遣された自治医科大学出身の先生が、平日9時から16時まで診療を行っています。
今がチャンスだ。心臓血管外科・循環器科を再構築しなさい。
私が鎌ケ谷総合病院に赴任した時は、ちょうど新型コロナウイルス感染症の最初の緊急事態宣言が発出される直前でした。
一般人も医療関係者も、新型コロナウイルスに恐怖を覚えて、外来、入院とも通常の6割程度の患者数に減少していました。
また、当時の当院の状況は、いろいろな問題が起こり大量退職者を出した後で、残っている職員のモチベーションは『がた減り』となっており、暗い闇の中のようでした。『何かをしなければいけない。しかし、何をすべきかわからない』。
そんな折、徳洲会グループの幹部の先生がお見えになり、アドバイスをいただきました。
『今がチャンスだ。心臓血管外科・循環器科を再構築しなさい。2年間で』
大動脈瘤の血管内治療を千葉西総合病院レベルへ
そこでまず、自分の専門分野である大動脈瘤の血管内治療を千葉西総合病院レベルまで行える施設にすること。そのためにハイブリッド手術室を整備することを開始しました。しかし、手術室・血管撮影室とも十分な面積が確保できず、大改造が必要だとわかりました。
果たして、ここまで大きな工事を行って良いのだろうかと考えたものです。
スタッフのモチベーション高く維持しつねに前に進む
そんな時に、徳洲会グループ脳血管内治療の顧問である兵頭明夫先生に、当院に来ていただ
けることがわかり、心臓血管外科だけではなく脳血管内治療センター構想も決意し、ハイブリッド手術室を高度な治療ができるハイスペックなものにしました。2021年9月に本格稼働が始まり、脳神経外科と心臓血管外科で、ほぼ空き日なく稼働しています。
心臓血管外科ではEVAR/TEVAR(腹部大動脈/胸部大動脈ステントグラフト内挿術)、脳神経外科では急性脳梗塞の血栓吸引、フローダイバーターステント(細かい網目をもつ特殊構造のステント)を用いた脳動脈瘤治療を行っています。また、放射線治療医も増員し2人体制となり、22年5月に最新型のトモセラピー(強度変調放射線治療装置)「ラディザクト」が稼働予定です。
さらに4月には内視鏡室の増設(2~3室)、小児科医師の増員(1人増員し3人)、産婦人科外来の増設(千葉西病院からの応援)を行うなど、診療体制の整備を計画しています。
After Corona という言葉をよく聞きましたが、今となってはWith Corona を生き抜けるように、スタッフのモチベーションを高く維持し、つねに前に向かって進んでいくことが大事だと思い、日々精進しています。皆で頑張りましょう。
- 医学博士
- 心臓血管外科専門医認定機構日本心臓血管外科専門医
- 日本外科学会専門医
- 胸部ステントグラフト指導医
- 腹部ステントグラフト指導医